ある夜、寝かしつけの時に、長男が言いました。
「ママはいつも笑っていてね」。
母は心の中で、苦笑いしながら、こう考えました。
「…だったら、ママを怒らせないでね」。
ワガママと母性ママ――なかむら家・笑顔化計画
それとは別に、心の底から湧き上がる思いもありました。
「ママは何もしないでもいいの?笑っているだけでもいいのかな?ありがとう」
まるで、上と下から、2つの相反する感情が自分を挟み込んでいるようでした。
私の中の二人の母親
私が母親になってから、数年。最近、ようやく気づいたことがあります。
私の中には、ふたりの母親がいるのです。
一人は、我がままで感情のママに怒る「ワガママ」。
もう一人は、子どもたちを手放しで可愛がってやりたい「母性ママ」です。
残念ながら、現在の私を支配しているのは、ワガママの方です。なぜかいつも頭にツノをはやして「私の子どもは、私の思い通りに動くべき!」と叫んでいます。
朝、長男が着替えもしないで、おもちゃで遊んでいると、すぐに怒り爆発。
「んもう!着替えなさいッ!」。
帰宅して靴を脱いだ後、何もせずに玄関でダラダラしている長男に向かっては
「何するか分かってるでしょッ!手洗いうがいッ!」。
余裕がなくて大きな声を出すので、ワガママはいつも疲れています。
いっぽう、母性ママが出てくるのは、子どもたちが夜眠るとき。
「今日はちょっと怒りすぎたね。怒り方が悪くてごめんね」。
ワガママの暴走をフォローします。長男も、
「うん、ママの怒り方が悪かったね。でも、僕も怒らせてごめんね」。
お互いに謝りあって眠ります。
でも、ワガママも本当はこう考えているのです。「母性ママに自分を全部、任せてしまいたい」、と。
そういえば、なぜ私は怒るんだろう
なぜ、それができないのか、考えてみました。
「子どものことは全部、わたしが管理しないといけない」と思い込んでいるのです。
もちろん、管理も大事です。子どもを守り、しつけることは大切なこと。けれど、人は思い通りには動きません。
自分を振り返ってみても、そう。
私は親の思い通りに動いていたでしょうか?
…いや、冷や汗をかくほど、まったく動いていませんでした(汗)
はてさて、こうして自分の中の2人のママに気付いた今、なかむらの今後の課題は、いかに母性ママの登場回数を増やしていくか。
けれども、なかなか良い方法が見つかりません。頭を抱えていたところ、年末にたまたまネットの掲示板で面白いトピックスに出合いました。
「毎日イライラ子育てが一転、ニコニコ笑顔になりました」(読売オンライン・発言小町2013ベストとぴ賞)
重い病気の双子の子を含め、4人の男の子のお母さんの発言です。
子どものことでイライラすることが多かったけれど「どうやって笑わせてやろうか」といつも考えるようにしたら、自分と子どもたちの笑顔が増えていった、という内容です。
なかむらは、これを読んで、自分の中のワガママがいつも「はて今日は、どう怒ってやろうか」というスタンスで長男に向き合っていたことに気づきました。
我ながら、何という恐ろしい母でしょうか。でも、このトピックスを読み、発言主の方に倣って「どう笑わせてみようか」とちょっとだけ試行転換してみようと思ったのです。
まず笑わせてみる
次の日の夕食後。子どもが歯を磨かず遊んでいました。「歯を磨きなさい」と注意したいワガママの登場を抑え込んで、思い切って長男をくすぐってみました。
家中に笑い声が響き、次男もくすぐってと寄ってきます。家族中、お腹がよじれるほど笑い合って、その日はなぜか、ワガママのお小言はどこかへ消えてしまいました。
夫も、いつもの私と違う様子になんだか喜んでいるよう。子どもたちも、とても聞き分けが良くなっていました。
ワガママはいつも思っていました。
「子どもが言うことを聞かない」
けれど、子どもたちも思っていました。
「ママがいつも怒ってる」
子どもは、もしかしたら、怒っている人の言うことは聞きたくないと思っていたのかもしれません。心の底から笑っている母性ママの言うことは、聞いてくれるのかもしれません。
その後も、ワガママの登場回数は減ってきているように思います。
思っていることはみんな同じ。
「いかに子どもたちを笑わせるか」を心の隅に置いただけで、いつも笑わせているわけではありません。
けれど、日ごとに心が楽になっていることを感じます。
子どもたちには笑顔でいてほしい、とは私たち親の願い。
でも、子どもたちの本音も、いつもきっと、同じです。
「ママにはいつも笑顔でいてほしい」